饒辺貝塚

   a.所在地     与那城村饒辺小字久々釣
   b.遺跡の種類  散布地   ゝ
   C.遺跡の時代  沖縄貝塚時代後期
   d.遺跡の現況  畑地及び原野


 与那城村字饒辺集落の東方約500米の地域、俗称水ハイ並に兼久原に形成された
沖縄貝塚時代後期の遺跡である。標高16〜20m前後の海岸よりに位置する。
 1956年(昭和31年)に嵩元政秀氏によって発見された遺跡である。戦後トラクターで
敷ならされ貝塚は大部分破壊されたと言われている。約1500平方米に石斧、凹石、
土器等が散布、包含層からは沈線文を有する土器が得られ、海岸よりの包含層からは
尖底土器が得られるとしている。
 今日では畑地と原野が広がり、遺物の採集は困難となっている。

 「琉球列島の貝塚分布と編年の概念補遺(一)」『文化財要覧』
 琉球文化財保護委員会1956年
饒辺貝塚遠景     (東側から)
中央畑地と右側林   (西側から)