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             祝      辞

                県議会議員 平 敷 昌 一

  饒辺区が戦後、復帰移転されて50年と言う節目の
 「復興50周年記念式典」が盛大に挙行されますことに対し、
 心からお祝いを申し上げます。
  顧みますと、今は去る54年前の昭和20年4月、我が
 沖縄は日米両国が国運をかけた最後の決戦場となり、
 20万余の尊い命と貴重な財産及びかけがえのない文化
 遺産を失いました。
  我が与勝においては、津堅島での日米両軍の戦斗が
 あったものの、その他の地域では、幸にして戦斗が行われなかったために、他地域に
 比べ住民の被害が少なかった事は幸いでありました。
  しかし、昭和20年4月米軍が上陸して間もなく、与勝半島は字南風原を境界に住
 民一人もいない奇妙な状態におかれたのであります。ところが、当饒辺、平敷屋を除
 く地域は翌年には復帰が許されたものの当饒辺区は4年余に亘る長期間、復帰が許さ
 れず他の地域で苦難に満らた不自由な生活を余議なくされ、筆舌に尽くせないご苦労
 をされたと思います。やっと自分達の部落に帰ってはみたものの地形は変ばうし、自
 分の屋敷さえ確認できない状態であったと聞きます。
  地籍を確定し仮住いの家屋を建設し、衣食住を確保すると言うことは、至難なこと
 であり、当時の皆さんのご苦労が察するに余りあるものがあります。
  今日の隆盛を見るにつけ、現在の基礎を築かれた先輩の皆さんに深甚なる敬意と感
 謝の念を禁じえません。
  饒辺区はまた、幾多の有能な人材を輩出し、与勝地域のリーダー的存在であります
 が、これも当区が勤勉で団結して事に当る地域性の現れだと思います。
  私達は、過去と未来を繋ぐ今を生きながら、次のような使命を担っております。
 即ら先人の意志を引き継ぎ新しいものを創造するという命題です。これまで文字どお
 り波乱、激動を乗り越えてこられた皆さんが「復興50周年」を契機にこれからは洋
 々たる前途に向って着実に前進発展されんことを心からご祈念申し上げ祝辞といたし
 ます。

                                    平成11年11月20日