TOPに戻る    饒辺を語るに戻る


平成16年7月28日・琉球新報・夕刊・南風・癒しの場所・徳原清文



 人は誰にでも癒やしてくれる場所というのが在る。何かで落ち込んでいる時や
暗鬱な時、そこに行けば癒やされる。そんなやすらぎの場所だ。私にも在った。
生まれ育った饒辺(与那城町)である。
 子供のころ、よく母の後をついて行った、テッポウユリやグラジオラスの花が咲き、
いつも小鳥のさえずりが聞こえていた「水走「みじはい」の畑。友達と泳扱いだ「饒
辺浜(ゆひんばま)」。カタツムリの穀の硬さを競うチンナンお−らしぇ−の殻を、日が
暮れるのもわすれて探しあぐんだ「饒辺原(ゆひんばる)や「比嘉原〔ひじゃばる)」。
そんな懐かしい思い出のいっばい詰まった場所。そこが私の癒やしの場所だ。しかし
今はもうない。地下ダム工事だ!
 環境破壊、自然破壊うんぬんを言うつもりは少しもない。工事が完了すれば地表
はきれいに整備され、灌漑設備も完備されるだろう。農家にとこて必要不可欠な農業
用水の確保。大事なことだ。私は饒辺が好きだ。島を離れて三十余年にもなるがいつ
も気にかけている。好きな饒辺が豊かになり、発展していく。私にとってもうれしい事だ。
しかし、あの広々とした比嘉原に吹く、風にそよぐ小さな草花や、ゆれる花薄の、あの
愛好な光景がまた見られるとは限らない。
 私は歌を作る時、いろんなシチュエーションをイメージしたり、現地まで行ったりもする。
実際、私の歌「饒辺ぬ前」の作詞もそこでやった。
 水走いの畑は既に十数年も前から産業廃棄物処理場になり、ほとんど原風景をとどめ
ていない。饒辺浜も橋梁工事中だ。比嘉原の景観もすっかり変わってしまった。癒しの
場所はもう・・・何処にもない。母を亡くした時と同じような寂しさを覚えた。